フィクションか経験か 《作詞》

歌には「歌詞」があり、作詞者の思いや憧れが綴られています。

昔のLPレコードに入っていた歌詞カードは、力の込め具合が半端なかった気がして、ジャケット写真とともに、未知の世界を教えてくれたのでした。

現代のリリースはデジタル配信が中心になってきましたが、ジャケットへのこだわりはそれなりにあるとして、歌詞については、単に同一フォントによるテキスト表示になっている点が、なんとも惜しいというか寂しい気がしているところです。

一方、動画での配信では、歌詞をフレーズごとにエフェクトを付けて飛び回らせるような見せ方もあり、これはこれで面白いなと思います。

このように、楽曲とともに歌詞も時代の流れに逆らえない状況となっているわけですが、「歌には歌詞がある」という原点は変わっていないものと思います。

私が詞を付ける場合は、曲が先で曲ありきの順序になるので、譜割りに合わせて言葉を選んだり、歌って聞こえの良い言葉を選ぶことが多いです。

例えば、「♪譲れな~い」にするか「♪譲れぬ~」にするか、前後のメロディや譜割りのバランスといった「音」を判定基準に考えていきます。

なので、私の場合、どちらかというと歌詞は都合によって改変されるという運命にあります。

しかし、歌詞には想像を超えるパワーがありまして、

例えば、作曲作業にて、メロディラインをリードシンセや♪LaLaLa~だけの仮歌で作っていくと、なんというか曲の情感が引き出せなくて気分がイマイチ乗りません。

ですので、曲の完成形のイメージに沿ったワードを散りばめた、ある程度の仮歌詞を作ってSynthesizer Vに歌わせようとしますが、ひとたび作詞を始めると、あ~でもない、こ~でもないと没頭してしまい、結局1曲分の歌詞を作るまで終わらなくなります。

でも、このフルの歌詞を当てはめることで、「Aメロの2回繰り返しはクドイな」とか「サビをもう1回付け足そう」とか、曲構成のバランス調整まで手が届くことになりますし、結局、ラフの段階で仮歌詞を付けた方が捗ることが多いです。

昔、「秋元康作詞塾」という通信講座があって、教材を取り寄せて手法を吸収した時もありました。作詞用の原稿用紙とかもあって、添削までしてくれる内容だったのですが、学習的な行為が苦手な私は一度も送付することなく終了となりました。

教材の内容は、今も役立っている箇所もあるので、やってて良かったなとは思います。当時の私にはちょっと高価でしたが…。

私が歌詞を書くときは、フィクションで書くと辻褄が合わないこともあり、経験だけで書くと薄く終わってしまうこともあり、ひとつの作品として仕上げるのに難儀することが多々あります。

昔、松任谷由実さんがラジオで、「曲はいくらでも出てきて苦にならないけど、詞はなかなか難しくてね…」と、詞のネタ探しにアンテナを張ってショートストーリーになるエピソードを拾い集めている苦労を聞いて、内心ホッとしたというか、淡々と歌を作ってたわけではなかったのだ…と、勝手に親近感を覚えました。

作詞も作曲も、簡単なことじゃないからこそ、出来たときの達成感があるのでしょうし…、この辺は、なんとも歯がゆいところですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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