皆が行かない方向へ 《作曲》

自作の楽曲が、配信や動画で自由に人に聴いてもらえる時代となり、クリエイターとしては創作意欲も湧きたつことでしょう。

ただ、逆にいつでも誰でも聴ける状況になったことで、作り方や表現の仕方が難しい…というか同一方向にすり寄ってしまっているような気がします。それを流行りというなら仕方ありませんが。

この現象は、聴く側だけでなく、作る側も再生回数といった数字で自身の曲を評価してしまっていることもあるのではないかと思っています。そこが目的なら大喜びで良いのですが、「アウトプット(表現)したいテーマが無尽蔵にあって困っている」というクリエイターには、自身の曲を評価の土俵に上げさせることは、逆に邪魔な展開なのではと思います。

人それぞれに性格や気質があって、馴染むもの馴染まないものは人によって様々だと思います。

自分の好みを無理に押し付けようとすれば、どこかで拒絶反応が出るでしょう。多くの人はお互いの拒絶を望まないでしょうから、自分の経験を踏まえて「ここまでは入っていいよ」という線引きをするのでしょう。

そんな中で、楽曲、特に歌詞が乗った歌は、人の中へ踏み込んでいく役目を担っていると思います。耳に入った時に共感や感動というものが感知されれば、人が拒絶する線引きのラインをスルッとすり抜けて、初めて歌として聴いてもらえるのかなと思っています。

クリエイターとは文字通り、この感動や共感を「作る」ことに意識を集中させることができる人ではないでしょうかね。

自分の曲がどれだけ多くの人に聴いてもらえるか…というのは、曲を作った後の「結果」の話なので、クリエイターが心を砕くのは「結果」だけではない気がします。

「結果がすべて」というのは、クリエイターが放つ言葉でしょうか。

また、誰でも簡単に作曲に着手できるようになった分、自分は作曲で何をしたいのかが明確でないと、数字などの評価に翻弄されてしまい、結局自分を見損なって辞めてしまうことになり、そうなれば勿体ない話だと思います。

なかなか、色々な情報だらけの中で、作ることのみに集中することが難しいご時世なのでしょうが、皆が行かない方向へ進むことも、時には必要ではないかと、自分自身に言い聞かせております。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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