かれこれ、40年近く日本の音楽の流行りを見続けて現在に至りますが、昨今がこれまでで一番、流行りというものを決めかねる時代かと思います。
そもそも、流行りとは何ぞや…ですが、ここでは、大衆に広く受け入れられ、かつ求められるもの…としてみます。
昭和~平成は、大衆に知らしめる手段として、TVが絶大な影響力を持っていました。TVが話題を拾ったり発信したりして、一方的な受け手である視聴者は、意識して避けない限り、その放送内容をただ飲み込むしかなかったと思います。
TVの内容に全国の視聴者がその場でツッコミを入れて議論するなどしない時代だったので、まるで絶対王者の意思の持ち主のようなTVが、絶大な力を持つ時代になれたのでしょう。
TVが「今年一番のヒット曲です」と放送したり、売れてる雑誌が「今一番のトレンドはコレ」と記事にすれば、それがきっかけとなり、そこに大勢が納得できる要素が伴えば、「流行り」になったのでしょう。
また、「誰もが知っている=流行っている」という認識があることで、誰も知らないものを先駆けて知っていれば、流行の最先端にいる人間になれたという面もあったのではと思います。
令和の今はどうでしょうか。
情報発信の拠り所がTVからネットに置き換わっただけで、仕組みは同じような気がします。
ただ、大きく違うのは、ネットの情報網により、自由すぎるツッコミ議論が交わされるようになったことで、かつて絶大な影響力を持っていたTVのような発信源が消えようとしていることかもしれません。
その分、趣味趣向が細分化されて、国民的大ヒット曲というものがなくなり、それぞれの趣向のエリアの枠の中で、流行りとその最先端が生み出されているように見えるのではないでしょうか。
なので、「流行りだよね」と言っても、別の趣向のエリア枠に居る人にとっては「そっちで流行っているもの」になり、自分自身の流行りではないので、極端な話、あまり興味がない話…ともなります。
だからでしょうか、今の時代は、昭和~平成ほど「流行り」自体に重きを置いていないのではと思います。
例えば、「ダサい」は、かつて流行りに乗り遅れたものという使い方が多かった気がしますが、今は「格好悪い」の意味が強くなっている感じがしませんでしょうか。
これを、日本の音楽に当てはめると、今の時代は、流行遅れの楽曲よりも、みっともない楽曲をリリースする方が「ダサい」のだと言えるのではないかと思います。
はて、みっともない楽曲とは何か…ですが、ここに気づくことができずにいることが「みっともない」のだと、言葉を濁しておきます。
…と、時代遅れっぽい楽曲を作ることが得意で、流行りに無頓着な私が、自分自身の楽曲を何とか肯定しようとする「みっともない」行為であることを、誰にも悟られないようにしながら、細長く静かにリリースを続けていきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
