30年も前の話で恐縮ですが、福島県にジンギスカンと作りたてのビールを味わえるビール工場があり、事あるごとに堪能しに行っていました。毎週行っていた時期もあったと思います。
なので、私の身体の一部は、間違いなくこのビールとジンギスカンで出来ていたことでしょう。
今頃なぜに思い出したかというと、曲を作る上でのひとつの秘訣が隠されていたことに気付いたからです。
それは何かというと、「肉」がメインの時の「野菜」の存在です。
当時のジンギスカン食べ放題のルールは、肉と野菜の両方の皿を空けないと次の皿が運ばれてこないというルールでした。
その頃は何となく、「肉・肉・肉・野菜・肉・肉・肉・野菜・肉…」という感じで堪能したくて、そんな中での野菜の存在は「障害物競争でのハードル」のような立ち位置で、ガツガツ行きたい食欲にブレーキを掛ける役目のごとく、申し訳なさそうに皿に盛られている印象があります。
別にジンギスカンでなくとも、例えば「すき焼き」とか、肉々しいイメージのあるメニューだと、「肉を食べないと損した気分。野菜なんて脇役さ。」という身勝手なランク付けをしてしまいます。
この、脇役っぽい「野菜」ですが、私が「あれっ?」と思うきっかけになったのは、“スタジオ飯”です。
スタジオ作業の合間の食事は、基本的に自炊で煮炊きをします。やり始めの頃は「肉が無ければ話にならん。」と肉を入れていましたが、月日が過ぎ、行きついたのは「一汁一菜」の食事でした。別に、誰かの健康話に共鳴したとかではなく、ごく自然に、スーパーで買う食材が野菜中心にシフトしていった感じです。
野菜だけをしっかりと味わうようになって、感じてきたことは、「あの時のジンギスカン食い放題は、野菜があってこそだったなぁ…。」という、実にどうでもいい気づきでした。
これは、すき焼きでも同じで、肉オンリーではすき焼きにならず、肉と野菜のお互いの味がしみ込んでこそ、美味といえる料理なのではないかと思います。
すき焼きの後に残った「タレ」こそ、旨味が詰まった世界最強の味だと思います。
この、肉と野菜の話が楽曲制作と結びついたのですが、アレンジで言えば、肉が「ボーカル(メイン)」、野菜が「オケ」になると思います。
楽曲で、リスナーが聴きたがるのは、オケ(野菜)ではなく、肉(ボーカル)に引き寄せられ、興味を惹かれてのことだと思います。
かといって、肉だけを食しても「それじゃないんだよな…。」と別の楽曲を探されてしまうでしょう。人間の耳は、肉だけを食す「肉食獣」ではなく、野菜の味を覚えてしまった「雑食系」だからではないでしょうか。
つまりは、肉と野菜の配分量のバランスはもちろん、どんな肉(ボーカリスト)と、どんな野菜(楽器・リズム)を組み合わせるかによって、出来上がる料理が異なってくるのではと思います。
かつて、「肉だけ食えればいい。」とジンギスカンに心惹かれた私の姿は、「曲はボーカルだけ鳴ってればいい。」という無茶な発想で、全体像を見る力が乏しかったことになるのでしょう。
曲を作り進めていくにあたって、メロディ・コード・リズムの3つは大事な基本だと思いますが、この3つを取り巻く全体像をイメージしつつ、どんな料理にしていくかという着地点が、曲作りで路頭に迷わないコツにもなると思います。
ただ、曲作りは奥が深い…というか、底が無いので、当初イメージしていた全体像が、途中で大転換して逆方向に向かう時もありますので、「コレはこうじゃなきゃいけない!」などと、肩ひじを張らず、気分に合わせて「イイ感じ」を追いかけていくことも大事かと思います。
私は、最近になって野菜生活寄りになっていますが、野菜には全体を包み込む包容力があると思います。肉が放つ「勢い」がどんなであれ、野菜はしっかりと吸収し、自分の味にしてしまう。そういった野菜の存在に、曲作りに通じるものを感じた今夜なのでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
