完全なる自己責任 《楽曲リリース》

自分で作った曲をリリースするには、現在はWeb上へ動画や音源をアップしたり、音楽配信サービスを利用して配信するなど、手軽に低コストでリリースできますね。

音楽の聴き方も、CDなどのソフトからWebのデータに切り替わって、低コストで、いつでもどこでも手軽に聴けるようになりました。

楽曲制作自体も、テクノロジーの進化によって、あまりコストを掛けずとも、極端な話スマホ1台で、主張のある楽曲を音源化することが可能になってきたと思います。

そんな、デジタルテクノロジー全盛のご時世の中、『リリースすることの意味』を考えてみました。

まず、リリースが持つ意味の一つは、その楽曲の「到達点」であるということが言えると思います。

私が楽曲制作をする際、コンペ用楽曲を除いて、リリース時点の音源(原盤)を完成イメージとして作り込んでいきます。

なので、明らかに到達点にはならないなと感じるときは、バッサリとボツにしたり、一部を残して全て入れ替えるといった、大幅な軌道修正をしてみます。

到達点のイメージが、楽曲の行きつく先の完成図になるので、作業が右往左往することは無くなると思います。そういう意味では、限られた時間を有効に使うことができるというメリットがありますね。

そして、リリースが持つ二つ目の理由としては、「妥協点」になると言えます。

「妥協点」というと、真面目な努力家には、何かネガティブなイメージが生じるかと思いますが、この「妥協点」は、楽曲制作上必要不可欠なものと思います。

「芸術は永遠に未完成」という見解がありますが、自作曲の制作こそ、詰めればどこまでも詰めることができ、終わりなき旅になります。

終わりなき旅が目的ならば、思う存分旅すれば良いと思いますが、私の場合、一つの楽曲を追い続けていると、必ず「飽き」が来ます。そうなると、作曲の進展に新鮮味がなくなり、作業を進めたところで「前の方が良かった。」となることが多いです。

そこに行きつく前の、「妥協点」を設定してやり、「これ以上はムリ」というゴールを作ってやるのです。

結果として、「妥協点」が「今現在の自分の最高点」になると思います。

そして、最後三つ目のリリースする意味は、「自己表現」ではないでしょうか。

「自己表現」には、文字通りアウトプットする先が必要です。ストリートライブで、歩き流れる人前で歌うのも明確な意思を持った自己表現ですし、誰が聴かずともWebに上げるのも立派な自己表現だと思います。

そんなのは単なる「自己満足」だと切り捨てる人もいますが、自分の中に湧き上がってくる、ちょっと他とは違う何かを、どうにかして表に出したくなるのが表現者の宿命なのです。

「自己満足」であると同時に「自己責任」を持っているから、その人でしか出せない表現を「作品」と呼べるのだと思います。

もし、商的に売るのが目的じゃない表現者に対して「売れなければ意味が無いよ」と、意味の押し付けをする人がいたなら、その人は、表現(作品)より売れることの方に「自己満足」と「自己責任」を持っているのでしょう。

どちらが上で、どちらが下というものではないと思います。

自分の作品に対して、罵倒されても、点数を付けられても、無視されても、すべて受け止めるのが「自己責任」だと思います。自分以外に真意を受け止められる人は居ないのですから。

ただ、私の場合、少しはオブラートに包んでいただいた方が、ダメージは少なくて済みます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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