失敗とは何ですかね 《時間軸》

作曲を続けていると、曲を作り上げるまでの、大まかなアウトラインは大体固定していて、その『大枠』の中でこねくり回している感じです。

ただ、『大枠』の中なので、そこで判断すべきことは山ほどあって、選択肢は全て試しきれないほど無限にあります。

その選択肢から選び出すのに用いる道具に『感覚』を使うのですが、この『感覚』で選び出している以上は、『失敗』という言葉は当てはまらないと感じています。

子供のころから「失敗しちゃだめだ。成功こそが自分の目標だ。」という発想に倣っていたので、自分が失敗しないように、常に失敗を恐れるという心根が出来上がってきた自分がいました。

今、改めて思えば、この『失敗しないこと』は、誰にとってメリットがあったのでしょうね。親か教師か、はたまた資本を操る商売人でしょうか。

他人の目線でモノを考えようとする協調性は、互いに傷付け合わないために、最低限は持ち合わせるものと思いますが、そこが『自分』を外してまでの自己犠牲になってしまうと、自分で判断しないままに周囲からの忠告や教えを全て受け入れるしかなくなるのではと思います。

誰か『他人』に褒められるために、『失敗』をしないように避けている…というのが、過去の自分だったなと思い起こされます。

『承認欲求』とは、『褒めて伸ばす』経験を受け続けた結果の衝動で、『失敗』の先に何があるのかをじっくり見ることを許されなかった『心』が、『失敗』を見ずに済ませるための砦として『承認』で外壁を作ろうとしていたのでは…なんて考えてしまいます。

たとえ『失敗』しても「こんなもんか」とか「逆に良かったじゃん」という経験を踏まえていけば、『承認欲求』に『心』を支配されるようなことにはならなくなるのではと思います。

映画に例えると、思い通りにならなくて茫然自失した瞬間でエンドロールした映画は虚しいストーリーと結論づけられますが、そこから『パート2』の続編が始まって、起死回生の大逆転でエンドロールを迎えれば、タイトル映画としては波乱万丈のサクセスストーリーになります。

その『失敗』が最終結論なのか、単なる一コマの瞬間の切り取りではないのか、『時間軸』というユーモアあふれる線上に生きている自分は、このことを忘れずに思い起こせればと思います。

その『時間軸』の芸術品のひとつが『音楽』であり『歌』です。

諸行無常を表すことのできる『音楽』を、自ら作り出せることの素晴らしさは、『失敗』というフィルインがあることによって痛感することができるのだと思います。

「失敗作でもいいから曲を作り続けさせてくれ~!」と、願い続けていたのは、昔の私だったと思いたいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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