『姿』こそ最高の教師 《作曲》

長いこと、近しい身内が床に伏していまして、ここしばらく近くで様子を見ているのですが、色々と感じたことがあります。

床に伏している身内の者は、意識はあるものの、周囲を認識できる力は無く、ひたすら、されるがままに横たわっているという状態です。

血圧・脈拍・呼吸の状態がモニターに数値で表示されますが、いずれも、生存ギリギリの状態の数値で、この状態のまま、かれこれ2週間ほど経過しています。

すごいなと思うのが、極限状態の肉体内で、カラダと生命を維持するために、血圧・脈拍・呼吸が相互に関連し合って、必要最小限のエネルギーを申し合わせたように分かち合い、身体を維持しているのです。

さらに気付くのは、生存するための、身体の中で守るべき『優先順位』です。

私は医学ド素人なので、完全な私見になりますが、『思考』するための機能は、生きるための優先順位的には後ろで、生存的には『大したことない』機能なのではないかと思ってしまいます。

人間は、『思考』するのが得意な動物で、将来を想像し、創造もしていくと。もちろん、この創造には作曲などのクリエイティブな意思・活動も含むのですが、生きるためという目的からしたら、『思考』の優先順位はかなり下ですね。

なのに、『思考』で生き死にを決めたり、「命は尊い」とか言ってみたり、オマエが決めるなよという、何か、喋りだけ上手で常に不満顔の評論家に似たコミカルチックな印象を持ってしまいました。

ここから言えることは、『思考』を元に命を粗末にしたり、クリエイティブのために命を差し出したり、作曲できないからといって絶望するなどは、全くもって「『思考』の身勝手な勘違い」であるということを、忘れてはならないなということです。

クリエイティブな作業である作曲ができないときは、ただ休むか、出来る時を待つだけ、それが『生きていれば選択できる』のだという、単純な話だと思います。

病室のベッドに横たわっている身内の者は、何も意思を伝えることは無いですが、その『姿』で、学ばせてもらうことができました。

確かに、人同士のいさかいやトラブルは『思考』が発端で、肝臓と肝臓とが いがみ合ってケンカを起こしたりしないですからね。

変わらない日常では思いもつかなかったことを考えさせてくれる良い機会になりました。

あとは、看護師さんたちの活躍に、もっともっと光を当ててやらなければならない気がしますね。見た目以上にハードな激務だと思います。激務ゆえ、看護師を目指す人が、親の反対などで減っているらしいですが、ここは待遇改善を本気で考えないと、ロボットや外国人で代用できるものでもない気がします。

だいぶ、作曲の話から逸れましたが、『カラダと生命あってのクリエイティブ』ということで、お後がよろしいこととしたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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