自己満足の最たるもの 《自作曲》

『自己満足』というと、どこかエゴ臭というか、自分だけ満足しているような後ろめたさを感じてしまうのは、日本独特の、いにしえからの『横並び崇拝』が根底にあるような気もします。

国外出身の方の言動とか振る舞いを見ていると、「自己満足で何が悪い」ぐらいの一本調子で、生まれ育った環境に応じて自己も同調するのだろうなと思います。

別に、どちらが良い悪いでなく、慣れ親しんだ環境の方がストレスなく過ごせるという話は、実感としてあるでしょう。

さて、作曲について考えてみれば、自分で作った曲を「これぞ最高」とばかりに大事にして、宝物にしてしまうのは、自己満足の最たるものだと言えると思います。

音楽は、聴きたくなければ聴く必要はないし、なんでかんで他人に聴かせる必要もないし、誰かに無理強いしなければ存続できない…というものでもありません。

つまり、作曲の自己満足は、自分自身の中でしか影響を及ぼさないものなので、「勝手にやっとけ」だと思うのです。

なのに、他人の評判や反応に重点を置いてしまうと、軸がズレてしまい、自分の範疇以外の理由によって、曲を作る衝動自体が消え去ってしまうことになるのではと思います。

誰にも邪魔されないはずの、自分自身という高貴な砦を、自ら取り外すことになるのではと思います。

さらに、もし、最初から他人の評判を念頭において作ったならば、他人の評価がそのまま自己評価の点数になってしまい、価値の有無を誰か他人に委ねることになります。

それはそれで面白いゲームなのですが、私はそんなゲームのために作曲しているとは言い難いので、ただ、突っ走るしかないのだなと思い始めたところです。

私はこれまで、バンドのオリジナル曲だったり、デジタル配信だったり、メジャーアーティストへの楽曲提供だったり、色々な形で作曲をしてきましたが、不特定多数の評価を“気にしない”曲ほど、自分らしく、面白みのある曲が作れたなと思い出されます。

今の世は、自分の曲が簡単にデジタルリリースできるようになった分、聴く側も簡単にアプローチできるようになったわけですが、アプローチ数が少ない、伸びないことを理由に作曲を辞めてしまうというのには、「ちょっと待って!」と言いたくなるのです。

もし、自分の作った曲に人格や意識があるとしたら、はたして、他人に聴いて“もらう”ことが幸せなのか、聴いて“もらえる”ことが幸せなのか、別の作家さんが作った曲よりも有名になれば幸せなのか、どう思うのかを問いかけてみましょう。

私の作った曲たちは、きっと、ただ単に「時間かけて姿形にしてもらえてサンキューです。」と言うと思います。

人格を持った自分の曲が何と感想を言うのか、その言葉が自分の目指す到達点なのだと思います。

有名だとか、視聴回数というのは青天井なので、「コレでヨシ!」という着地点があるようで、実は無いと思うので、他の作家さんが作った曲がひとつの基準になってしまうと思います。

果たして、誰かが作った曲を基準に、自分の曲を評定するというのは、どんなもんでしょうか。誰かの曲を基準に一喜一憂することが、自分がやりたかったことなのでしょうか…ということです。

自分自身という存在は、どんなことがあっても他人には真似できない、絶対唯一の存在なので、雑音に惑わされず、自分で雑音を生み出さず、悠々と自己満足を貫いていきたいものですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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