作曲をする目的は、人それぞれ、様々かと思います。
私の場合、ストックだったり浮かんだりする楽曲のアイデアやフレーズを、今生のうちに放出してしまいたいという、突き上げる欲求によるものです。
年数を重ねるほどに、誰のオーダーでもなく、自分が作りたいから作っている曲の割合の方が、多くなっていると感じます。
そんな中で、ひたすら『真面目に』取り組むことも時として大事ですが、私の場合、作曲の基本は『遊び』として向き合う方が、自分らしい曲が出来上がります。
どうしても、『真面目に』作っていくと、なぜか、誰かが作ったような曲になってしまうので、そういう用途でない限り、時間を割くことはありません。
一方で、『遊び心』で組み立てた曲は、時代が求める流行りとはかけ離れるものの、いかにも自分自身が作った曲だなという実感が湧きます。
いつからか、『遊び心』重視にシフトしていったのですが、自作の曲が、あまり収益を生み出さないことを悟ってからは、「作りたいように作る」という、ワガママモードで制作することが増えたのだと思います。
何か、文章にすると“ひもじい”感じが漂いますが、決して嘆いている訳ではなく、自分らしく作品を残せていることに、ただならぬ安堵を感じています。
考えてみれば、自分の好みで作曲して出来上がる曲とは、結局、自分独自の“趣向”なので、他人の趣向に合わせる必要もないことから、共感してもらおうとか、売り込もうとか、そういった目的でなくなります。
そこに反して、他人の趣向を無理して受け入れさせようとするのは、単なる“強要”になるので、多くのクリエイターは望まないはずです。
なお、作曲することの目的が、他人への共感や売り込みであっても、それはそれで立派に成り立つ話なので、私の場合は違うエリアで満足を得ているという解釈なだけで、共感や売り込みを望んでいる姿勢を非難することはしません。
自分好みと言っても、何かを貫き通しているとか、頑なにこだわっているとか、そんな大層な話ではないので、むしろ、肩の力を抜いて『遊び心』で楽曲に接することで、自分の内面が解放されるのだろうと思います。
自分にとって気楽な『遊び心』があれば、細く長く続けられて、派手な賞賛も要らず求めず、期待値が激甘になるので、結果、満足のいくマル印が付くのだろうと思います。
『真面目』になればなるほど「~しなければならない」という、バツ印から逃れることが作曲の目的になってしまうようで、それは私が望まない創作の形になるということです。
とはいえ、私も、作曲していて、アイデアが嚙み合わない時などは、『真面目』方面に引きずられることも多くあります。
そんな時こそ、『遊び心』を忘れぬよう、思春期に好奇心で買ったアナログレコードを聴き返して、スピーカーの奥底から伝わってくる“茶目っ気”を吸い取ってみたりするのです。
人の『遊び心』には、ガチガチの石頭を柔らかくして、活路を見出させる効果があるので、無くしてはならないものだと思いますね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
