これまでの作曲している心境を振り返ると、やはり『遊び心』が抜け落ちた行動は心に残らず、苦痛だけを身体が憶えているような気がします。
『悪ふざけ』とは逆の、真剣に楽しんで愉快になろうとする外側への働きかけというのが、誰にも邪魔されず壊されない内側を造り上げてきたような感じです。
ことさら、作曲のような、内側次第で出来・不出来が左右される作業は、『燃やす燃料』が必要です。
その燃料は『遊び心』だったり『憧れ』だったりしますが、いずれも誰かに教わるというものではないということを忘れがちです。
もちろん、音楽は狭っ苦しいものではないので、聴く側からすれば機械的・事務的に作った楽曲でも受け入れられ、広く活用されていくものですが、作る側からすると、機械的・事務的な作業は、やはり苦痛の割合の方が大きいのではと推されます。
そんな中、『遊び心』や『憧れ』で曲を作れる自分の時間があることを、最大限に喜び讃えなくてはならないのだろうと思いますし、長く続けられるコツにもなると思ったところです。
ただ、この『遊び心』というヤツは、他の誰かに認識されるわけでもないので、傍目には「何やってるの!」という、子供が意味不明な行動を取っている状況と同じシチュエーションになりがちで、「邪魔だ、どけ!」と言われそうですが、それでも介さずに押し通せるかによって、後々のニンマリ具合が変わってくるものと思います。
たとえ「邪魔だ」と言われても、以前『遊び心』が生み出した芸術的っぽい印象に心が吸い寄せられて、周囲の怒号を押しのけて貫き通すことを吉(ヨシ!)とするのでしょう。
ちなみに、SunoなどのAI生成による作曲が、プロンプトへの回答義務でなく『遊び心』だけで生み出されるとしたら、向かうところ敵無し…になってしまうのでしょうかね。そんなに遠くない未来かもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
