凹凸なのでは 《作曲》

AI生成にて作曲をしている方でも「作曲家です」と名乗っていくことができる時代になってきたのではないかと思います。

もし、AI生成だと立場上都合が悪ければ、AI生成であることを表に出さないだけでしょうし、曲が仕上がっていれば、とりあえずミッション完了となるのでしょう。

ただ、私の視点からすると、『凹凸の“凸”だけをかすめ取っている分、その分だけ急な勾配を登らなければならなくなる』のではないかと、考えます。

はて、何のこと?ですが、例えば、私が作曲できるようになったのは、私がこれまで経験した様々な紆余曲折や葛藤、喜怒哀楽があったからです。(自慢とかではなく、経験量の話です。)

私の作曲スキルは、平均ちょい上くらいだと自負していますが、それでも、他人に自分のスキルをすべて伝授するとなると、数カ月はかかるでしょう。

その、長きにわたり耕してきた土壌の上に、自分の作曲行為が成り立っているのですが、AI生成だと、その辺を一気に飛ばして、ポンと生み出されたもので作曲行為が成り立ってしまいます。

とはいえ、これまでのテクノロジーの変遷をみると、ごく当たり前の進化かもしれません。実際、世界にある全ての楽器を弾けない私が、DTMであらゆる音を再現できてしまうこと自体、演奏できる方々から見れば「何だアイツの音の出し方は」になるのかもしれませんし。

仮に、そのテクノロジーで享受される利便性を“凸”として、片や、スキルの習得に必要な鍛錬を“凹”としてみます。苦難で心身がヘコむといったイメージです。

これから凸になろうとするとき、凹があると、下に向かうジェットコースターみたいに、反動の勢いで楽に登ることが出来ると思います。

しかし、初めから反動の勢いがないとすると、それはそびえたつ絶壁を登るようなものですが、このときに、スイッと登らせてくれるのが、キャッシュ(課金クレジット)という代償になるのでしょう。

過去にウン十万のシンセ音源にキャッシュをつぎ込んできた私が、まさにこの姿だったと思います。

今も昔も、ツールの姿は違っていても、その先にある作品の求め方は似ているような気がします。求める心があってこそ、ぶち当たる“凸”なのでしょう。

ただ、AI生成で完結してしまう作曲家さんであっても、DTMに少しは触れてみていただきたく、深遠なる偶然の産物を味わうことに、少しばかり時間を割いてほしいな…と思うのでした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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